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モーツアルトの名曲を紹介してまいります
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  1. Allegro ハ長調 4/4            ソナタ形式
  2. Andante ヘ長調 2/4          二部形式
  3. Menuetto ハ長調 3/4
  4. Allegro Molto ハ長調 2/4 ソナタ形式
■編成:p または p, vn

■作曲 1762年夏~1764年1月 ザルツブルク、ブリュッセル、パリ

翌年2月にフランスの王女ヴィクトワールに「作品1」として贈る2曲のソナタの第1。
印刷された彼の最初の作品。
作曲は1762年から始まり、第1楽章の原曲は1763年10月14日ブリュッセルで作られ、ついで第2楽章と第3楽章第1メヌエットも同地で作られ、第2メヌエットは1762年7月16日にザルツブルクで、そして終楽章は1764年1月パリで書かれた。
ピアノ・ソナタとして構想され、後にヴァイオリンを編入した。

■参考
第2メヌエット(ヘ長調)は父レオポルトが作曲した「オーケストラのためのセレナータ ニ長調」(1762)第3楽章メヌエット(ト長調のトリオ)で使っている。
(海老沢敏著「モーツァルトを聴く」岩波新書, p.46)
 

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  1. Allegro molto ニ長調 4/4 ソナタ形式
  2. Adagio ト長調 2/4 二部形式
  3. Menuetto ニ長調 3/4
■編成:p または p, vn

■作曲 1763年11月30日~1764年2月1日 パリ

王女ヴィクトワールのための作品1の2。
ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第2番。
当時パリで活躍していたドイツ系の作曲家ショーベルト(Johann Schobert, 1735? -67)を手本にして書かれた。
メヌエットは「ナンネルの楽譜帳」に父の手で書かれ、1763年11月30日(パリ)の日付がある。
第1楽章に「ロンドン小曲集」K.15tで現われる旋律が既に使われている。

ショーベルトについて、父レオポルトはひどく嫌っていたが、少年モーツァルトは深く永続する影響を受けた。



20年後のモーツァルトが、緊張、エネルギー、力においてヨーハン・ショーベルトを百倍も凌駕しているように、少年モーツァルトは百倍も劣っているのであ る。
ショーベルトの芸術は、8歳の少年が理解したり模倣したりしえないような、深みと予想外のものを持っている。
そして、ショーベルトはシュレージエン人で、ポーランドとの国境付近の出身だったので、しばしば民族的な魅力を持つポロネーズを(たいていは中間楽章とし て)書いたが、幼いモーツァルトはそれに対してカンタービレな、メロディーの点では特性のないメヌエットを対立させることしかできなかった。
もちろんモーツァルトもニ長調ソナタ(K.7)のアダージョのような、魂の奥底から流れ出た楽章を書くこともあった。
ここでは安らかに流れて行く低音の上でピアノが夢見るようなメロディーを歌い、チェロの音域のなかでは三連音符でかすかに叩くような音がする、そしてヴァ イオリンは各小節に優しい囁きを投げかける。
アインシュタイン(浅井真男訳)「その人間と作品」白水社 pp.166-167



Menuet K7 By Wolfgang Amadeus Mozart


http://uk.youtube.com/watch

Sonata for piano and violin, in B flat

第1楽章 Allegro 変ロ長調 4/4 ソナタ形式
第2楽章 Andante grazioso ヘ長調 3/4 二部形式
第3楽章 Menuetto 変ロ長調(トリオは変ロ短調)

■編成 p, vn

■作曲 1763年11月21日~64年1月 パリ

1764年4月にド・テッセ伯爵夫人(Adrienne-Catherine Comtesse de Tesse, 1712 -57)に「作品2」として贈った2曲(K.8 と K.9)のソナタの第1。 ピアノとヴァイオリンのためのソナタとしては第3番にあたる。
ただし「ピアノとヴァイオリンのための」は正しくなく、伯爵夫人への献辞には「ヴァイオリンの伴奏で演奏できるクラヴサンのためのソナタ」となっている。
モーツァルト一家がパリ滞在中、世話になっていたグリム(Johann Friedrich Melchior von Grimm, 1723 - 1807)が献辞の文を書いたが、最初それを伯爵夫人が受け付けなかったので、献辞を書き直したという。
そのせいで、この曲の版刻(印刷)が遅れたという逸話が残っている。
なお、「作品2」というのは父レオポルトが1768年以前に書き残した「ヴォルフガングの作品目録」に記載されているもので、後世がつけたものではない。
なお、その目録には K.6 から K.47b までの作品が並んでいて、そのうち作品番号のあるものは「作品4」までしか付けられていない。

モーツァルト一家がパリに滞在したとき、多くの知識人や貴族と出会っているが、その中にブルボン王家の系統をひく大貴族コンティ公(Louis Francois de Bourbon, Prince de Conti, 1717 -76)がいた。
ド・テッセ伯爵夫人はそのコンティ公の寵姫だった。

この「作品2」にふさわしい有名な絵がある。
それは1763年にカルモンテル(Carmontel、本名 Louis Carrogis, 1716 - 1806)によって描かれたパリで合奏するモーツァルト一家の水彩画である。
この絵について、1764年4月1日の手紙で、父レオポルトは「ヴォルフガングがクラヴィーアを弾き、私はうしろに立ってヴァイオリンを弾き、ナンネルは片腕でクラヴサンに寄りかかり、歌っているふりをしている」と書き残している。


  1. Allegro spirituoso ト長調 2/2 ソナタ形式
  2. Andante                 ハ長調 3/4 二部形式
  3. Menuetto                ト長調 3/4
■編成 : p, vn

■作曲 1764年1月 パリ

1764年4月にド・テッセ伯爵夫人(Adrienne-Catherine Comtesse de Tesse, 1741-1814)に「作品2」として贈った2曲(K.8 と K.9)のソナタの第2。
ピアノとヴァイオリンのためのソナタとしては第4番にあたる。
夫人はヴォルフガングに小さな時計をくれたという。
モーツァルト一家がパリ滞在中、世話になっていたグリム(Johann Friedrich Melchior von Grimm, 1723-1807)が献辞の文を書いたが、最初それを伯爵夫人が受け付けなかったので、献辞を書き直したという。
そのせいで、この曲の版刻(印刷)が遅れたという逸話が残っている。
また、レオポルトは息子の間違い(最後のトリオでヴァイオリンの連続3つの五度)を訂正したかったが、直されないまま版刻されたという。
終楽章の主題はピアノ協奏曲(トルコ行進曲付き)K.331 の第1楽章第2変奏に似ていることも知られている。

  1. Allegro 変ロ長調 4/4 二部形式
  2. Andante 変ホ長調 3/4 二部形式
  3. Menuetto 変ロ長調
編成 p, vn (またはfl), vc (ad lib.)

作曲 1764年8~9月 ロンドン

1763年6月9日から1766年11月29日までの約3年半に及ぶ、モーツァルト一家の西方への大旅行中、ロンドンで作曲された6曲からなる「ヴァイオリンまたはフルート(およびチェロ)の伴奏で演奏できるクラヴサンのためのソナタ」がある。
作曲の目的は(当時20歳の)英王妃シャーロット(Charlotte Sophie, 1744-1818)に献呈するためであり、1765年1月に「作品3」として出版された。
これら6曲(変ロ長調 K.10、ト長調 K.11、イ長調 K.12、ヘ長調 K.13、ハ長調 K.14、変ロ長調 K.15 )は「ロンドン・ソナタ」と呼ばれ、この曲はその第1番。

モーツァルトはバッキンガム宮殿に1764年の4月と5月の二度訪問し、1760年に即位した国王ジョージ三世(1728-1820)に拝謁している。
そこではクリスティアン・バッハ(当時29歳)が王妃シャーロットの音楽教師をつとめていた。
モーツァルトは神童ぶりを発揮して一堂を驚愕させつつ、クリスティアン・バッハの作品を貪欲に吸収していった。
アインシュタインは

かくて1765年1月にイギリスの王妃シャーロットに献げた作品三番の六曲のソナタは、単にショーベルトとヨーハン・クリスティアーンがこもごも混り込んでいるという点で両者の影響を示しているばかりでなく、一曲ごとにますますモーツァルト自身を示している。 モーツァルトは彼の仮のモデルをいわばスプリングボードとして利用する──彼はいっそう高く飛び、いっそう遠くへ達する。
淺井真男訳「その人間と作品」白水社 p.175
と評している。
これら6曲はケッヘル旧全集から第6版まで「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」とされていたが、新全集では「ピアノ三重奏曲」と位置づけられている。
したがって、この作品は「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第5番」または「ピアノ三重奏曲第1番」ということになる。
この曲はクリスティアン・バッハというよりも、ショーベルトの影響を受けているという。 


  1. Andante ト長調 3/4 二部形式
  2. Allegro ト長調 2/4 三部形式(Allegro ト長調 - Menuetto ト短調 - Allegro ト長調)
編成 p, vn (またはfl), vc (ad lib.)

作曲 1764年8~11月 ロンドン

1763年6月9日から1766年11月29日までの約3年半に及ぶ、モーツァルト一家の西方への大旅行中、ロンドンで作曲された6曲からなる「ヴァイオリンまたはフルート(およびチェロ)の伴奏で演奏できるクラヴサンのためのソナタ」がある。
作曲の目的は(当時20歳の)英王妃シャーロット(Charlotte Sophie, 1744-1818)に献呈するためであり、1765年1月に「作品3」として出版された。
これら6曲(変ロ長調 K.10、ト長調 K.11、イ長調 K.12、ヘ長調 K.13、ハ長調 K.14、変ロ長調 K.15 )は「ロンドン・ソナタ」と呼ばれ、この曲はその第2番。

モーツァルトはバッキンガム宮殿に1764年の4月と5月の二度訪問し、1760年に即位した国王ジョージ三世(1728-1820)に拝謁している。
そこではクリスティアン・バッハ(当時29歳)が王妃シャーロットの音楽教師をつとめていた。
モーツァルトは神童ぶりを発揮して一堂を驚愕させつつ、クリスティアン・バッハの作品を貪欲に吸収していった。
アインシュタインは

かくて1765年1月にイギリスの王妃シャーロットに献げた作品三番の六曲のソナタは、単にショーベルトとヨーハン・クリスティアーンがこもごも混り込んでいるという点で両者の影響を示しているばかりでなく、一曲ごとにますますモーツァルト自身を示している。 モーツァルトは彼の仮のモデルをいわばスプリングボードとして利用する──彼はいっそう高く飛び、いっそう遠くへ達する。
淺井真男訳「その人間と作品」白水社 p.175
と評している。
これら6曲はケッヘル旧全集から第6版まで「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」とされていたが、新全集では「ピアノ三重奏曲」と位置づけられている。
したがって、この作品は「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第6番」または「ピアノ三重奏曲第2番」ということになる。
この曲は楽章の構成、曲調ともクリスティアン・バッハの影響を受けている。 
   
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1964/07/18
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