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- Allegro spirituoso ト長調 2/2 ソナタ形式
- Andante ハ長調 3/4 二部形式
- Menuetto ト長調 3/4
■作曲 1764年1月 パリ
1764年4月にド・テッセ伯爵夫人(Adrienne-Catherine Comtesse de Tesse, 1741-1814)に「作品2」として贈った2曲(K.8 と K.9)のソナタの第2。
ピアノとヴァイオリンのためのソナタとしては第4番にあたる。
夫人はヴォルフガングに小さな時計をくれたという。
モーツァルト一家がパリ滞在中、世話になっていたグリム(Johann Friedrich Melchior von Grimm, 1723-1807)が献辞の文を書いたが、最初それを伯爵夫人が受け付けなかったので、献辞を書き直したという。
そのせいで、この曲の版刻(印刷)が遅れたという逸話が残っている。
また、レオポルトは息子の間違い(最後のトリオでヴァイオリンの連続3つの五度)を訂正したかったが、直されないまま版刻されたという。
終楽章の主題はピアノ協奏曲(トルコ行進曲付き)K.331 の第1楽章第2変奏に似ていることも知られている。
- Allegro 変ロ長調 4/4 二部形式
- Andante 変ホ長調 3/4 二部形式
- Menuetto 変ロ長調
■作曲 1764年8~9月 ロンドン
1763年6月9日から1766年11月29日までの約3年半に及ぶ、モーツァルト一家の西方への大旅行中、ロンドンで作曲された6曲からなる「ヴァイオリンまたはフルート(およびチェロ)の伴奏で演奏できるクラヴサンのためのソナタ」がある。
作曲の目的は(当時20歳の)英王妃シャーロット(Charlotte Sophie, 1744-1818)に献呈するためであり、1765年1月に「作品3」として出版された。
これら6曲(変ロ長調 K.10、ト長調 K.11、イ長調 K.12、ヘ長調 K.13、ハ長調 K.14、変ロ長調 K.15 )は「ロンドン・ソナタ」と呼ばれ、この曲はその第1番。
モーツァルトはバッキンガム宮殿に1764年の4月と5月の二度訪問し、1760年に即位した国王ジョージ三世(1728-1820)に拝謁している。
そこではクリスティアン・バッハ(当時29歳)が王妃シャーロットの音楽教師をつとめていた。
モーツァルトは神童ぶりを発揮して一堂を驚愕させつつ、クリスティアン・バッハの作品を貪欲に吸収していった。
アインシュタインは
かくて1765年1月にイギリスの王妃シャーロットに献げた作品三番の六曲のソナタは、単にショーベルトとヨーハン・クリスティアーンがこもごも混り込んでいるという点で両者の影響を示しているばかりでなく、一曲ごとにますますモーツァルト自身を示している。 モーツァルトは彼の仮のモデルをいわばスプリングボードとして利用する──彼はいっそう高く飛び、いっそう遠くへ達する。と評している。淺井真男訳「その人間と作品」白水社 p.175
これら6曲はケッヘル旧全集から第6版まで「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」とされていたが、新全集では「ピアノ三重奏曲」と位置づけられている。
したがって、この作品は「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第5番」または「ピアノ三重奏曲第1番」ということになる。
この曲はクリスティアン・バッハというよりも、ショーベルトの影響を受けているという。
- Andante ト長調 3/4 二部形式
- Allegro ト長調 2/4 三部形式(Allegro ト長調 - Menuetto ト短調 - Allegro ト長調)
■作曲 1764年8~11月 ロンドン
1763年6月9日から1766年11月29日までの約3年半に及ぶ、モーツァルト一家の西方への大旅行中、ロンドンで作曲された6曲からなる「ヴァイオリンまたはフルート(およびチェロ)の伴奏で演奏できるクラヴサンのためのソナタ」がある。
作曲の目的は(当時20歳の)英王妃シャーロット(Charlotte Sophie, 1744-1818)に献呈するためであり、1765年1月に「作品3」として出版された。
これら6曲(変ロ長調 K.10、ト長調 K.11、イ長調 K.12、ヘ長調 K.13、ハ長調 K.14、変ロ長調 K.15 )は「ロンドン・ソナタ」と呼ばれ、この曲はその第2番。
モーツァルトはバッキンガム宮殿に1764年の4月と5月の二度訪問し、1760年に即位した国王ジョージ三世(1728-1820)に拝謁している。
そこではクリスティアン・バッハ(当時29歳)が王妃シャーロットの音楽教師をつとめていた。
モーツァルトは神童ぶりを発揮して一堂を驚愕させつつ、クリスティアン・バッハの作品を貪欲に吸収していった。
アインシュタインは
かくて1765年1月にイギリスの王妃シャーロットに献げた作品三番の六曲のソナタは、単にショーベルトとヨーハン・クリスティアーンがこもごも混り込んでいるという点で両者の影響を示しているばかりでなく、一曲ごとにますますモーツァルト自身を示している。 モーツァルトは彼の仮のモデルをいわばスプリングボードとして利用する──彼はいっそう高く飛び、いっそう遠くへ達する。と評している。淺井真男訳「その人間と作品」白水社 p.175
これら6曲はケッヘル旧全集から第6版まで「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」とされていたが、新全集では「ピアノ三重奏曲」と位置づけられている。
したがって、この作品は「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第6番」または「ピアノ三重奏曲第2番」ということになる。
この曲は楽章の構成、曲調ともクリスティアン・バッハの影響を受けている。